My favorite/緋川さん
土屋はリビングで空っぽのソファを眺めていた。 ゆるい曲線をもったそれは以前インテリア店のショーウィンドウで一目ぼれして買ったものだ。 たいして広くないこの部屋には不釣り合いな大きさだがかわりに寝心地がとてもいい。 もっとも買った直後からあの人の指定席になってしまって、自分はめったに使えないのだけれど。 ソファの主が出掛けていない時でさえ殆ど座っていない。 空いてるからとうっかりそこでうたた寝などしようものなら帰ってきたあの人に蹴り落とされたりするからだ。 気がつくといつもそこで気持ちよさそうに寝ていた。 まるで猫のようなあの人の為だけのソファ。 それなのに。 今、空っぽのソファは主を失ってまるでどこか壊れているような印象をあたえる。 あれからどのくらい時が経っただろう。 どうしてここにいないんですか? また約束やぶるんですか? 今どこにいるんですか? 空のソファに問い掛ける。 …と、 「嫌味ったらしい独り言はやめろ、バカ!」 そう言って大きな足音をたてながら緋咲さんがリビングに入ってきた。 手に持っている袋にはちゃんとお願いしたマヨネーズと牛乳と食パンが入っている。 「だって遅すぎますよ!たったこれだけのもの買ってくるのに何時間かかってるんですか?!」 「お前がごちゃごちゃブランド指定するからだろっ!」 「うわっ!…投げつけないでくださいよっ!パンがつぶれるでしょうがっ!」 こちらが動けないのをいいことに袋ごと投げつけられた。 緋咲さんに階段から突き落とされて足を捻挫したのは3日前の事だ。 本人は不幸な事故だと言い張るが自分に非がないと思っていたらオレの頼みごとなんぞ 素直に聞いてくれるハズがない。 捻挫してからは松葉杖生活なのだがなにせ手がふさがってるものだから買い物も難しい。 すぐに治るかと思った怪我は意外と酷かったらしく、いまだに家の中を歩くのにも片足で飛び跳ねている。 食事も2〜3日ならば冷蔵庫のありもので賄えるかなと思っていたがちょっと中身が寂しくなってきた。 だが相賀に買い物は頼めない。醤油を買ってこいと言うと平気でソース買ってくるコテコテのバカだから。 そんな状態だからどうしても必要なものだけ緋咲さんに頼んだのに… 「どうせどこかで一服してたんでしょう〜がぁ〜?」 知らん振りして通り過ぎようとする緋咲さんを睨む。 緋咲さんはその3日前から禁煙中なのだ。 3日前の朝、顔を洗いにいくと洗面所で緋咲さんが血を吐いていた。 めちゃくちゃビビッて医者に引っ張ってくと単に喉が切れて出血しているだけだと言われた。 寝ている間にその血が溜まってしまったらしい。 一週間は煙草を控えるようにと薬を貰って帰ってくる途中にまた煙草を吸い出すものだから、 説教したら思い切りデコピンされた。 それが階段の途中だった訳だ。 一応、反省してくれたのか以来言い付けは守っているようだが、 そもそも重度のニコチン中毒であろうこの人が3日以上禁煙できたというのは奇跡と言っていいだろう。 だがそろそろ限界の筈。 オレが禁煙、禁煙と言い立てると緋咲さんは立ち止まり、迫力満点の目でギラリとこちらを睨み返す。 「煙草だぁ?」 椅子に座っているオレの胸ぐらを掴んで引き上げる。 やべ。マジで怒らせた? 拳骨か頭突きがくるのを覚悟してギュッと目を閉じた次の瞬間。 唇に柔らかい感触、そして暖かいものがちらりとオレの舌を舐めて離れた。 びっくりして目を開けるとアップの緋咲さんが「な?吸ってないだろ?」と言ってにっこり笑った。 「あー、おかえりなさい!緋咲さんv」 声を聞きつけて部屋からバカ犬が飛んできた。 その頭をよしよしと撫でアイス買ってきたぞ、食うか?わーい!と 親子みたいな会話を交わしながら指定席のソファに座る。 「ところでなんでまたアレ動いてないんすかー?」 「さぁ?どうせ容量少ないからフリーズしたんだろ」 などと人をモノ扱いした事を喋ってるのが聞こえてくる。 ああ、この人がオレにキスをするのはいつもオレを黙らせたい時だけだ。 分かっていながらまんまとその通りになっている自分に腹を立てながらも諦めを覚える。 抗ったところで仕方ない。 だってこの人のキスは効く。まるで麻酔のように。 ぼーっと二人の楽しそうな様子を眺めてたら膝の上にアイスが飛んできた。 それを黙って食べながら、やっぱり買ってよかったなとそれだけを思った。 たとえ座る事ができなくてもこのソファはオレのお気に入りだ。 ![]()
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(チイ)
このお話を読んで「土屋、じゃあ緋咲さんに黙らせたいと思わせればいいんじゃねえの?!」
と、一人でやたら興奮してしまいました!(笑)
緋川さんによると↓
>そうですねぇ、でも単にうるさいだけだときっと殴られて終わりになってしまうのです。
緋咲さんが殴る以外の方法で土屋を黙らせたいと思う時しか有効でありません(笑) で、基本的に普段は殴られるのでそう思う時ってのは緋咲さんがなんか後ろめたい時とか土屋の事を愛しく思ってる 時とか?←そんな時が存在するかどうかは謎ですが(笑) との事。 なんか難しいな…。土屋の事を愛しく思ってる時って……!!(笑) そして食品の銘柄に拘りを持っていそうな土屋がすっかり主夫で可愛いです。 「一家に一人、土屋」ってな具合(違う) 実はこのお話の以前に作られたというまぼろしのお話を頂きました! 緋川さんによる注釈つき:「病気ネタ」&「へっぽこメロドラマ」 な感じの土緋話はコチラ⇒★ (病気ネタと言ってもチイが読めるくらいだから大丈夫!) (2004.11.15) 戻る |